札幌に訪れる観光客のようにがっちり防寒対策をして向かった青森アートの旅。今回は2月7日から2月12日までの3泊6日で実施しました。(うち2泊はバス内とフェリー内での宿泊)
この記事では1日目の模様をお送りします。やたら長いので戻るなら今ですよ。
函館までは夜行バスで。一番後ろの列だったので、背筋も足も伸ばせて爆睡できました。
函館から青森までは津軽海峡フェリーです。ビューシートなるものに乗ってみたのですが、これまた水平になるくらいリクライニングできて、全然人がいない…!
https://www.instagram.com/p/Be6diGYnDls/?taken-by=momonoke.museum
インスタ映えもゴイスー。
降りるとすぐに花笠が出迎えてくれました。夜にねぶたのミュージアムに行くので楽しみ。
インフォメーションセンターでバスの情報を聞き、いざお目当ての場所に向かいます。しかし、このバス停にポスター一つ貼ってなくて、着くまで非常に不安だったんだなこれが…
バスに揺られて40分。AOMORIトリエンナーレ2017「Unlimited 」会場へ到着です。
参加アーティストが非常に豪華だったので、これは見なくては!と。思ったのです。気になった作品をピックアップしてご紹介。
まずは、池上高志+植田工「マリア、人工生命、膜、魚」を鑑賞。植田さんご本人が会場で作品の調整にあたっていたので、運良く作品についてお話を聞くことができました。
展示会場全体を「母胎」に見立て、7つに細分化された作品を通して、生命とは何か、考えさせられる展開となっています。
ちなみになぜ7つなのかというと、太宰治の「津軽」に出てくる「七つの雪」からとったそうなのです。あらロマンチック。
私が特に気になったのがこの作品。羊水のような膜の中にプカプカ浮かぶブロッコリーのDNA。それはまるで、母親の胎内で孤独に漂う胎児のようです。
人工知能、人工生命の技術革新が続いていますが、この作品ではそれらの「母なるもの」とは何か。という問いかけをしているように思えます。
母胎のない生命予備軍と、母胎はあるのに実現できない子供たち。このあと登場する長谷川愛「(不)可能な子供」と対になるような作品かもなと思いました。
欲を言えば、個人的にはもう少し太宰治に寄せてくれたら胸が熱くなったなぁ。母の愛に飢えて放蕩を続けながら名作を産んだ作家と、青森という地域と、この作品がもっとリンクすれば、ここにしかない作品として楽しめたかなと思いました。
続いては長谷川愛「(不)可能な子供」。実在している同性カップルの遺伝情報の一部を解析し、どのような子供が生まれうるのか、顔立ちや性格などもかなり細かく表現されていました。
こちらが「ぽわ子」ちゃん。ここまで分かっていて、技術的にはもう実現の尻尾が見えているのに、倫理的な議論が追いついていないことを目の当たりにしてしまいます。
牧村朝子さんの「今回の子供の名前、非現実的な名前にしないと、心が引き裂かれてしまいそう」というような言葉なんて、もう胸が痛いです。
寄せられていた意見がこちらに。個人的に気になったのが、同性間で子供が産めるようになると、「女がいらなくなるのでは」「男が必要とされなくなるのでは」という逆の意見が寄せられていたことでした。
倫理的な議論…でも私達の心の奥深くに「自分が必要なくなるのでは?」という思いが根底にあるのかもと思いました。人工知能の発展でもそうですよね。機会が発展すれば、人間はいらなくなるんじゃないかっていう。
むむむと考え込みながら学内のカフェ「ban cafe」へ。マスターの美味しいコーヒーとあんこサンドで、少し復活しました。私の下手くそな絵でお送りします。
バスの時間までひたすらスポーツの話してました。旅行先で野球の話とかすると文化の違いがわかって楽しいんですよー。おすすめです。
青森市内に戻り、「ねぶたの里ワ・ラッセ」へ。ねぶたについては、祭りのニュースを見るくらいしか接点がなかったのですが…
自分のオリジナルねぶたを投影できるとのことで、私は話題のパンダのシャンシャンねぶたに挑戦してみました。もうこの時点で全然センスがないのがお分かりですね。
館内にはこんなにたくさんのねぶたが勢ぞろいしています。一つ一つがとても大きいので本当に圧巻です。
ねぶたは一夏の楽しみ。毎年新しいものを作り変えます。一年がかりで作るのにすぐ壊しちゃうなんてもったいないなーと思ってたけど、雪まつりだって儚いですよね。
お祭りってそういう一瞬に全力を尽くすみたいなところがあるから盛り上がるのかも。今度は是非お祭りの時期に行きたいものです。
次回は2日目の模様をお送りします。三内丸山遺跡と青森県立美術館に行ってきましたよ。
ではまた次回!